クリエイターが、アスリートを目指して学んだこと

 

よく

 

"クリエイターはアスリートでないといけない"

 

と言う話しを聞く。その度に自分は、

 

「アスリートになれないからクリエイターを目指したのに…!グニャ〜ッ!!(こぶしを突き上げながら脱力)」

 

といった態度を示してきたが、これは、そんな私が走ることでアスリートを目指した話しである。

 

 

年のせいか、週に 1 回のビリーブートキャンプで間に合わないほど体重が増えてきたので、ランニングを始めようと思ったのは 2 月の中旬。

 

 

しかし、シューズなど色々と揃えないといけないし、、、そう渋っていたら、会社の後輩に「そんなんユニクロでいいんすよ。走るなら イマデショ!」と激を飛ばされ、その日のうちにユニクロでパーカーとスウェットパンツを購入。シューズはワゴンセールのナイキをゲット。あっという間に Just Do It 体制が出来上がった(ソーシャルゲームで言うところの、無課金ユーザのような装備であるが、これは後に全身 GU にアップグレードされる)。

 

 

いざ始めてみると、なまっていた体を叩き起こし、朝早くに外をランニングするのはなかなか爽快だった。たった 3km のランニングでも、普段と違う日常と時間の使い方に興奮を憶えた。律儀にビリーブートキャンプを 5 年間かかさず行っていたせいか、思ったより走れたのはうれしい発見であった。その結果、少しずつ距離を伸ばし、だいたい 1 日おきに 5km 走ってから会社に行く生活を 1 週間ほど続けた。

 

 

3 月に入り、さらなるモチベーションアップのために nike+ で会社のメンバーと 3 月の総走行距離を競うことを思いついた。大体ここから、話しがエスカレートする。

 

 

レベルが離れないように、あまりアスリートっぽくない人を集めたつもりが、どう誤ったのか、元陸上部や週末に 10km ずつ走っている社員など、なかなかハイレベルなメンバーが 12 人も揃ってしまった。引きこもりがマジョリティーの会社において、とんだ誤算である。

 

 

しかし総走行距離を競うと言うのは、単純な体力というより常日頃の努力、強いて言えば精神力を競うレース。体力で負けても、クリエイターとして精神力で負ける訳にはいかない。密かに、絶対に勝つことを心に誓う。

 

 

いざレースが始まり、一番最初に思い知ったのは競争が市場を活性化するという事実だった。初日の金曜日に 5km 走り、土曜日に 10km のランに挑戦。これで充分だろうと日曜日の朝、筋肉痛とともに目を醒ましたらトップのランナーの走行距離が 25km に達していた。初心者といえども、スタートダッシュで負けるわけにはいかない。痛みに耐えながら、さらに 10km を走ることとなった。

 

 

最初の週は、強いて進化の歴史で例えるのならば、さながらデボン紀の海の生態系のように様々な走り方が試された。平日の夜中にいきなり 20km 走るランナー。毎日コンスタントに 5km ずつ距離を積み上げるランナー。とても決算期とは思えないブッコミ。自分はというと、最初の 3 日間で足首を痛めてしまったが、だましだまし走りながらもなんとか先頭集団に追いつくことができた。

 

 

さすがブラック企業の申し子達。みな良く走りおるわい。ククク…!」と嘯きながらも、どうやら精神力だけでは勝てそうにないことに気づいた。これには勝つための戦略が必要だ。

 

 

第二週目に入り、それぞれのランナーのペースが決まって来た。自分がとった作戦は「早いカメ」。まだ体が出来ていないので長距離は走れないが、コンスタントにカメが出来る限りの速度で距離を伸ばすというもの。レース期間中に筋力をアップさせるため、負荷をかけて 2 日間で 15km 走り 1 日休むというサイクルを設定した。これで月間 150km ペース。レース前の予想では、100 〜 120 km あたりがトップ争いになるだろうと言われていたが、現在のペースを考えると、トップ争いは 150km に及ぶと予想された。これでトップ争いに参戦できる。

 

 

ところで、ランニングを始めると健康体になり、朝から脳が活性化して日中の集中力も高く仕事のメリハリがつくと言われている。まるで悩み事の 8 割が消えてなくなるような触れ文句であったが、現実的には悩みが 8 割増しになった。常に足のコンディションを気にし、睡眠時間を削って走り、体調的には肉体の限界方面に振り切った感じである。もちろん、3 月は期末の納品が忙しい。休日に走ってから出社するということもあった。メンバー一同、もはや誰ひとりとして健康のために走っていないのは明白であった。

 

 

「手段と目的が入れ替わっては意味がない」と言う人がたまに現れるが、それはもったいない話しだと思っている。手段と目的が入れ替わったタイミングこそ面白く、凡人が唯一、天才の領域に足を踏み入れられる瞬間だと思う。こうして人は、狂気を獲得していくのである。

 

 

レースも中盤を越えたところで、休日にフルマラソンの距離を走ってくる猛者が現れ(I 君)一気に抜かれた。一度に 10km しか走れない自分は、最終的に彼と 30km 近くの差をつけないとラストスパートで抜かれることになる。レース後半の集中力が緩むところで、気づかれないようにランニングのペースを上げることにした。2 日連続で 10km ずつ走って、一日休むというペースだ。これで月間 200km ペース。

 

 

それにしてもなぜ、人は走るのか。色々な側面があるが、普段ものを作っている身としては、何かしらフィジカルなフィードバックを欲していたのかもしれない。ものづくりをしている際、手を動かしている時間は長時間に及ぶが、その間にはだらだらしたり、行き詰まったり、そういう時間も多く含まれる。例えば野球の試合や外科手術のように、もう少し短い時間に集中力を高めて何かを成す体験を欲していたのかもしれない。ものを作り続ける活動には、そういった凝縮された一瞬が少ない。

 

 

最終的にレースの終盤は、フルマラソンの距離を走る I 君と、毎日走って通勤する Y 君とのトップ争いになった。自分は大人の狡猾さを利用し、最終日前日に溜まっていた代休を取り 20km を走った。しかし翌朝、筋肉痛と関節痛が過去最大のものとなり走れず、Y 君に抜かれてしまい 2 位での終了となった。総走行距離 157km となった(1 回 nike+ の不調で 10km 計測失敗に終わったのが悔やまれる。しかし、それを走っていたらヤマト君はそれ以上走っていただろう。精神力のある若い人が出てきて心強い)。

 

 

ランニングを本格的な趣味として取り組んでいる人には遠く及ばないが、初めて走り始めた人間としては割とがんばった方ではないかと自負している。走ることが出来る限り、ランニングを続けていきたいという気持ちが自分の中に芽生えた。

 

 

不思議なもので、ある行為のモチベーションはある行為の中で生まれることが多い。走らなければ、走りつづけようと思わない。例えば、戦争を始めなければ戦争を続けたいと思わないし、お金を浪費しなければお金を浪費したいと思わない。良いことも悪いことも、本来的にはそれほど多くの理由がないまま続けているからこそ、続いているのである。人類の営為そのものとも言える。だから、何かを始めようと思うものの、モチベーションが見つからないなら、とりあえず初めてしまうというのも一つの手段といえる。

 

 

さて、冒頭にあったクリエイターがアスリートを目指したところで何を得たか。難しいところであるが、こんなことを走りながら考えていた。

 

 

自分は大体、毎日同じルートを同じように走っていた。反復を繰り返すことで、自分の状態を出来るだけ詳細に観察したかったのである。昨日より 10 秒早く公園に辿り着いたとか、最後の 2km で自分はいつもスピードが落ち始めるとか、細かくフォームを変えたときの疲労度の変化など。

 

 

ただ、漫然と走るのではなく反復作業のなかでどれだけ作業の解像度を高め、そこからの気づきを得られるか。かねてより、物を作る際の集中力というのは、どれだけ多くの気づきを得て、それを現実のものとして形にできるか。ということだと思っている。意外とアスリートの集中力も同じものかもしれない。どれだけ多くの気づきを実行に移せるか。それがクリエイターとアスリートに共通する部分だと自分は理解した。

 

 

その集中力を、身をもってフィジカルに思い知らせるために走るのはとても有効だという感想をもって、本エピソードを終わらせたいと思う。

 

 

# 1 ヶ月後、膝の調子を悪くして医者に 3 ヶ月ほど走るのを止められました。ランニングは計画的に!